水道の歴史
道の始まりは、紀元前3000年〜紀元前1500年インダス文明にモヘンジョダロのレンガ造りの水道と言われています。
給水するための最初の本格的な水道施設は、古代ローマのアピア水道で、紀元前300年〜400年前アーチ型の水道橋が建設されました。
ほかにもその後ローマでは、ヴィルゴ水道・クウディア水道など数多くの水道が作られました。
た、フランスの有名な観光スポットの一つ、ガール橋も水道を引いた橋です。
紀元前19年に建設されました。
本では、1590年(天正18年)に江戸の神田に作られたのがはじめての水道です。
しかし当時の水道は、川からそのまま木や石で作られた管をひいたもので、現在のように衛生面が徹底していなかったため、上流の村で伝染病が発生すると、下流の人々にも感染して大きな被害になったそうです。
といっても、今の川よりずっときれいで澄んでいたので井戸の中には時々魚が泳いでいたという話もあります。
代水道は、それからずっと後の明治時代に入ってからです。
鎖国の時代が終わり、外国との交易が盛んになり、文化・産業の発達により水道の水の汚れが目立ち始め、飲み水によるコレラ等の伝染病が多くの人々を苦しめました。
そのため、今までのただ上流の水を引いた木樋などの水道ではなく、ろ過・浄水等の処理を施した水を鉄管によって給水する衛生的なものになってきたのです。
なみに米沢市に水道が創立されたのは、西暦1925(大正14)年に「帝人株式会社」の前身である「帝国人造絹糸株式会社 米沢工場」が工業用水を確保するため、米沢市と共同出資し、館山に浄水場を作ったのが始まりです。
昭和9年、米沢工場撤去により浄水場施設を一時閉鎖しましたが、昭和27年米沢市がこの施設に改良と拡張を重ね、昭和29年7月1日より市の一部に給水を開始したのです。
その後、給水人口の増加に伴い数期の拡張事業を重ね、平成12年には給水人口80,140人、給水戸数29,802戸、年間総配水量は10,019,514m3となっています。